写真展「Spirit in Motion for Diversity & Inclusion」
写真展は、9月6日(月)をもって終了しました。
ご来場いただき、ありがとうございました。
EUNIC(欧州連合文化機関)と東京都が共催して、写真展を都政ギャラリー(東京都議会議事堂1F)にて開催しています。
障がい者インクルージョンの重要性に光を当て、ヨーロッパと日本からここに集められた写真は、見ている人をパラリンピックの魔法の瞬間へと引き込むことでしょう。
EUNIC「Spirit in Motion for Diversity & Inclusion」
開催日程
2021年年8月18日(水)~9月6日(月)9:00~18:00
※土日祝日を除く
会 場
都政ギャラリー(東京都議会議事堂1階)
〒160-0023 東京都新宿区西新宿二丁目8番1号
主催
EUNIC JAPAN
共催
東京都
参加
オーストリア文化フォーラム東京、ベルギー王国フランス語共同体政府国際交流振興庁、ブルガリア大使館、チェコセンター東京、フィンランドセンター、ゲーテ・インスティトゥート東京、ハンガリー文化センター、アイルランド大使館、イタリア文化会館東京、ラトビア大使館、ポーランド広報文化センター、カモンイス言語・国際協力機構、インスティトゥト・セルバンテス東京、スロヴァキア大使館、スロヴェニア大使館、駐在欧州連合代表部、株式会社フォート・キシモト
後援
スポーツ庁、公益財団法人日本障がい者スポーツ協会日本パラリンピック委員会
協力
公益財団法人東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会
展示概要
パラアスリートやパラスポーツをテーマとした写真のパネル展示
感染症防止対策への
ご協力のお願い
会場では新型コロナウイルスの感染拡大防止対策の取り組みを実施しています。来場人数に応じて、入場をお待ちいただく場合がございます。ご来場のみなさまのご理解とご協力をよろしくお願いいたします。

ワロン=ブリュッセル(ベルギー)
「スポーツはすべての壁を超える」
1969年生まれ
ブリュッセル在住
バーバラ選手は、自分の馬と一緒にいるときや、その馬の話をするたびに、とても幸せな気持ちで満たされる。馬と過ごす一瞬一瞬をいとおしむように。馬上で以前とは違う新しい平衡感覚を取り戻すのは、最初はとても難しかった。けれども、馬の動きや呼吸から伝わってくる感触のおかげで、幾度にもおよぶ手術で切り刻まれた自分の新しい身体を受け入れる気持ちになれた。
26歳のとき、進行がんの告知を受けた。腫瘍を取り除く手術を何度も乗り越えた結果、片足の自由を失い、行動が大きく制限されることになった。10年間もの間、再発に再発を繰り返し、長く辛い治療を強いられた。そうこうするうちに、もっていた目標からも友人たちからも遠ざかってしまった。
馬のおかげでバーバラ選手は社会とのつながりを取り戻した。馬という同じ趣味をもつ人々と出会い、馬術競技を通して他のパラアスリートとも知り合いになれた。そして、自分自身を客観的に見られるようになった。最近バーバラ選手は、両足を事故で失った若い女性馬術競技者と知り合った。馬術はバーバラ選手にとって、自由や出会い以外のなにものでもない。

ワロン=ブリュッセル(ベルギー)
「なりたい自分になるための障がいは、一つもない」
1965年生まれ
フランス国境に近い村ヴィルポムロル在住
時速200kmで疾走してきたクリストフ選手の人生は、2人の娘の誕生を境に180度転換した。自分が得られなかった環境を与えてやりたい、褒めてやりたい、輝かしい将来を約束してやりたいと思った。娘たちは最高の宝物だ、たとえこの7年間会っていなくても。
彼は若い頃、反抗期には、教育に理解のない両親に怒りを抱いていた。街で不良仲間と知り合い、少しずつ盗みに手を染めていった。最初は小さなものから、だんだんとエスカレートしていった。気が付くと、クリストフ選手はプロの強盗になっていた。カネはたやすく手に入り、贅沢な暮らしに溺れた。ある日、強盗は失敗し、クリストフ選手は刑務所行きとなった。そこは暴力にあふれた悪いことずくめの場所だった。出所後、のちに妻となる女性と暮らし始めたが、生活は厳しい。ぎりぎりで生きる日々、昔の派手な思い出が恋しくなり、また安直にカネを手に入れようとした。
23歳、バイクがクリストフ選手の悪への疾走を止めてくれた。スピードの出し過ぎだった。医師から、一生歩けなくなったこと、この障がいに慣れるしかないことを宣告された。人生からすべての光が失われた。けれど4年後のある日、鏡に映る太った自分の顔を見て嫌気がさした。そこで若い頃やっていたスポーツを再開した。挑戦し、勝利することで得られる高揚感がクリストフ選手を満たした。
クリストフ選手は、自分はいま競技スポーツの肉体的限界に達したと感じている。パラリンピック2020が、長く会っていない娘たちと再会する機会になってはくれないだろうか。それは誇りをもてるチャンスだ。この秘かな願いが叶ったら、クリストフ選手は幸福に競技者人生の幕を閉じることができるだろう。

チェコ共和国
ズデニェク・シャフラーネク選手はチェコ共和国のパラアイスホッケーチームのキャプテンで、これまでに3度パラリンピックに出場。2003年に勤務先の自動車修理工場で事故に遭って以来、車いすに乗っている。マウンテンバイクとハンドサイクリングのチェコ代表選手でもあり、2017・18年はチェコのパラボクサーチャンピオンでもあった。2018年には深刻な健康問題と闘っていた。ひどい苦しみであったが、内なる戦いでもあった。 現在、ポジェブラディ近郊のパーテクの町で、パートナーと3人の子供とともに暮らしている。

チェコ共和国
ズデニェク・シャフラーネク選手はチェコ共和国のパラアイスホッケーチームのキャプテンで、これまでに3度パラリンピックに出場。2003年に勤務先の自動車修理工場で事故に遭って以来、車いすに乗っている。マウンテンバイクとハンドサイクリングのチェコ代表選手でもあり、2017・18年はチェコのパラボクサーチャンピオンでもあった。2018年には深刻な健康問題と闘っていた。ひどい苦しみであったが、内なる戦いでもあった。 現在、ポジェブラディ近郊のパーテクの町で、パートナーと3人の子供とともに暮らしている。

フィンランド
レオ=ペッカ・タハティ選手は常に競争に勝つことを目指してきたトップアスリートです。彼は非常にハードなトレーニングをこなし、どこまでも高い目標を掲げます。レオ=ペッカ選手はこれまでに世界有数の優れた陸上選手であることを証明してきました。レオ=ペッカ選手に再会し、彼のスポーツと人生に対する情熱と決意に触れることができ、非常に光栄です。全ての写真はレオ=ペッカ選手の出身地であり、彼がスポーツトレーニングを始めたポリで撮影されました。

フィンランド
レオ=ペッカ・タハティ選手は常に競争に勝つことを目指してきたトップアスリートです。彼は非常にハードなトレーニングをこなし、どこまでも高い目標を掲げます。レオ=ペッカ選手はこれまでに世界有数の優れた陸上選手であることを証明してきました。レオ=ペッカ選手に再会し、彼のスポーツと人生に対する情熱と決意に触れることができ、非常に光栄です。全ての写真はレオ=ペッカ選手の出身地であり、彼がスポーツトレーニングを始めたポリで撮影されました。

ドイツ
ダヴィッド・レブーザー選手は世界トップレベルの車椅子スケーターの一人です。自身の知識とスキルを、ワークショップを通して車椅子に乗る人々に伝えています。ワークショップの参加者は自分の車椅子をよりよく知り、運転のスキルを磨きます。その後には、縁石や小さな段差はもはや問題とはなりません。

ドイツ
車椅子スケーター(WCMX)のリザ‧シュミット選手とダヴィッド・レブーザー選手が、ミュンヘンのスケート公園のコースを確かめる場面です。レブーザー選手は世界トップレベルの車椅子スケーターの一人で、ワークショップを通して自身の知識とスキルを車椅子に乗る人々に伝えています。ワークショップの参加者は自分の車椅子の特性をよりよく知り、運転のスキルを磨きます。その後には、縁石や小さな段差はもはや問題とはなりません。リザ‧シュミット選手はインクルージョンを目指すアクティヴィストとしても活動しています。

リトアニア
数年前、エルネスタス・チェソニス選手は新たにパラトライアスロンの世界に飛び込みました。彼は、そこに人生の新たな意味が現れたと言っています。今では、通りで人々に気づかれたり、ソーシャルメディアには激励の言葉が届いたりするようになりました。初めのうちは、「あなたは私たちのお手本であり、インスパイアしてくれる」という言葉を聞くことに、彼は慣れませんでした。しかし、誰かを前向きにできることは良いことだと感じるようになったとのことです。

リトアニア
ケーストゥティス・スクチャス選手の座右の銘は、「何が起こったとしても、その日を楽しみ、決して自分自身を人生から締め出してはならない」です。彼は2004年のアテネ‧パラリンピックの水泳競技の銀メダリストであり、スポーツが彼の自尊心を取り戻すのに役立ったと述べています。また、1991年より車いすバスケットボールに取り組み、カウナスの車いすバスケットボールチームのコーチと選手としても活躍しました。スクチャス選手は社会科学の博士号を持っています。

イタリア
パラサイクリングの選手達は、他のスポーツのアスリートと同様、自己管理を徹底し強いメンタルをもっています。そして、苦しみや痛みに耐え、乗り越えてきた分、さらに強靱さを増しています。
2017年に南アフリカのピーターマリッツバーグで開催された世界選手権ロード大会で、私はレース前と直後に選手達をカメラに収めました。どんなスポーツでも緊張はつきものですが、それもすぐに空を飛んでいるかのような解放感に変わります。2017年の世界選手権ロード大会では、イタリアのパラリンピック・ナショナルチームが再び好成績を収めました。私はその時、選手と関係者の勇気と決意を間近で見ることができましたが、互いに支え合う彼らはまさにひとつの家族のようでした。
世界選手権ロード大会での勝利は、選手達の長期にわたるトレーニングの成果であるだけでなく、彼らを日々支え続けたトレーナーや理学療法士、整備士、配偶者達の努力の結果でもあるのです。

アイルランド
マーティン “ザ・フラッシュ” ゴードン選手は、アイルランド西部スライゴー県出身のパラサイクリング選手。ワールドカップメダリストであり、200mスプリントの国内記録保持者です。自転車競技を始めたのは2007年、アイルランド盲導犬協会のチャリティーイベントでのことでした。それ以来、ゴードン選手はアイルランド盲導犬協会の支援活動を続けており、15年以上前に最年少盲導犬オーナーとなり、現在は同協会の理事も務めています。パラリンピック競技大会は今回が初出場。パイロットのエイモン・バーン選手と共に、4000mパーシュート、1000mタイムトライアル、ロードタイムトライアルに出場します。

オーストリア
2016年リオデジャネイロ‧パラリンピック / 種目: 400m T47 / 2016年 / Günther MATZINGER選手が銅メダルを受賞

オーストリア
2012年ロンドン・パラリンピック / 種目: サーブル個人 カテゴリー B、男子 / 2012年 / Manfred BÖHM選手がランク15を達成

日本
1994年生まれ。先天性の潜在性二分脊椎症で、成長と共に歩行困難に。11歳で車いすテニスを始める。14歳の時、史上最年少で日本ランキング1位。高校3年で2012年ロンドンパラリンピックに出場し8位入賞。2016年リオデジャネイロパラリンピックで銅メダル獲得。4大大会ではシングルス、ダブルスで24回の優勝を果たしている。
★写真は2016年リオデジャネイロパラリンピック

日本
1988年生まれ。先天性両下肢欠損(膝上)。12歳で車いすバスケットボールを始める。高校卒業後、単身でアメリカに渡り、イリノイ大学で活躍。全米大学リーグのシーズンMVPを2年連続受賞。その後プロのプレイヤーとなり日本代表としても活躍。パラリンピックは2008年北京大会から今回の2020東京大会まで4大会連続出場。
★写真は2012年ロンドンパラリンピック

ポーランド
1995年⽣まれ。ヨーロッパ・パラ⽔泳競技選⼿権⼤会(2018年ダブリン)で男⼦50メートル及び100メートル⾃由形で優勝。世界パラ⽔泳世界選⼿権⼤会(2019年 ロンドン)の男⼦100メートル・バタフライ銅メダリスト。東京2020パラリンピック競技⼤会出場選⼿。写真は世界パラ⽔泳世界選⼿権⼤会(2019年ロンドン)男⼦100メートル・バタフライで銅メダルを獲得した時のミハウ・ゴルス選手。

ポーランド
夏季パラリンピック(2008年北京)の⼥⼦⾛り幅跳び銅メダリスト。1972年⽣まれで、17歳の時に⾻のガンと診断され、左脚の膝上を切断することとなった。写真はロンドン2012パラリンピック競技⼤会⼥⼦⾛り幅跳びF42/44(2012年9⽉2⽇英国ロンドン)で、決勝に進出した時のエヴァ・ジェリンスカ選手。

イタリア
1971年イタリア、プーリア州生まれ。サッカー、ボクシング、ボディビル愛好家。1990年いつものように地中海に泳ぎに行った時、岩に激突し脊髄を損傷してしまい、車椅子生活となる。しばらくしてパラリンピック水泳に挑戦。結果は悪くはなかったが、自身が満足できるものではなく、2008年に水泳をやめる。2011年、パラサイクリング(ハンドバイク)に出会い、すぐに試合で優勝するようになる。2017年南アフリカで開催された世界選手権ロード大会ではもっとも多くの賞をとった選手となる。2013年から今日まで世界大会で11回優勝し、パラリンピックで5つのメダルを獲っている。

アイルランド
円盤投の二ーヴ・マッカーシー選手は、アイルランド第2の都市‧コーク出身。既にパラリンピックで銀メダル、世界選手権で3度メダルを獲得している実力者です。パラアスリートのための活動に尽力する傍ら、趣味でスカイダイビングを楽しんでいることでも知られています!

ポルトガル
ボッチャBC2クラス・2016年リオデジャネイロパラリンピックにて。

スペイン
ブランズ・ハッチ・サーキットにて行われた2012年ロンドンパラリンピック・ロードレース競技において。この競技で第五位となった。

スペイン
伴走者のエンリク・マルティン氏と共に、2016年リオデジャネイロパラリンピック・カテゴリーT11・100メートル走予選にて。

ブルガリア
2012年9月ロンドンパラリンピック大会。
ブルガリアパラリンピック選手
ステラ・エネヴァ選手は砲丸投げと円盤投げの銀メダルを獲得し、ラドスラフ・ズラタノフ選手は走り幅跳の同メダルを獲得しました。

ブルガリア
ルジディ・ルジディ選手は1991年4月14日生まれブルガリアのパラリンピック陸上競技選手で、やり投げ、砲丸投げ、円盤投げの大会で競い合っています。彼は2016年リオオリンピックにて砲丸投げの世界チャンピオンで、砲丸投げの世界記録を登録しました。

ハンガリー

ハンガリー

ラトビア
ラトビアが誇る、メダル獲得数が世界で最も多いパラリンピアンの一人。初出場のシドニー大会(2000年)以来、円盤投げ、砲丸投げにて金、銀、銅メダルを複数獲得。世界パラ陸上競技選手権大会では複数の金メダルを獲得し、世界記録を更新。彼の優れた功績が認められ、ラトビアで最も高い国家勲章、三ツ星勲章を受章。2012年にはヨーロッパオブザイヤーに選ばれた。

ラトビア
初めて出場のパラリンピックリオデジャネイロ大会において(2016年)、やり投げでは23,26メートルの世界新記録を打ち立て金メダルを獲得。円盤投げでは、銅メダルを獲得。世界‧ヨーロッパパラ陸上競技選手権大会において3つの種目でタイトルを保持。 彼女の卓越した功績により、ラトビアで最も高い国家勲章、三ツ星勲章を受章。

スロヴァキア
ヤーン・リアポシュ選手(1968生まれ)はスロヴァキア人パラ卓球選手です。現時点で、クラス2の世界ランク2位、車椅子スポーツ部門で世界ランク61位です。1993年に自動車事故によって脊髄を損傷し、生涯車椅子での生活となってしまいました。2003年にスロヴァキアパラリンピック委員会の会長となりました。

スロヴァキア
ラドヴァン・カウフマン選手(1978-2003)はスロヴァキア人パラリンピック自転車競技選手です。慢性的に癌を患っていました。2000年のシドニーパラリンピック大会では、写真にあるように、1kmパラサイクリング種目で金メダルを獲得しました。1998年コロラド・スプリングでの世界選手権と1999年のヨーロッパ選手権でも上位の成績を残しました。

ポルトガル
2016年リオデジャネイロパラリンピック・男子マラソン上肢障がい(T46)クラスにて銅メダルを獲得した瞬間。

スロヴェニア
2016年9⽉、リオパラリンピックで⾦メダルを獲得したぺヴェッツ・ヴェセルカ選⼿。パラリンピックで⾦メダリストとなったスロベニア⼈としては2⼈⽬です。予選トーナメントでパラリンピック記録を樹⽴、決勝でも⾒事に優勝し、パラリンピックチャンピオンとなった。リオではまた、彼⼥のチームメイトのフランチェック・ゴラズド・ティルシェック選⼿が銀メダルを獲得。

スロヴェニア
盲⽬のマラソンランナー、サンディ・ノヴァック選⼿。事故でほとんどの視⼒を失った後、歩くこと、そして⾛ることに新たな意味を⾒出した。パラアスリートとしては34歳という⽐較的遅い年齢でデビューしたが、事故前はサッカー選⼿として活躍。現スロベニアのマラソン記録保持者であるロマン・ケイジャル⽒をコーチに迎え、2016年のリオパラリンピックで8位となった。