■■■■■■■ ■ ■■■■■■■■■■■■■■都市鉱山からつくる! みんなのメダルプロジェクト都旗よ、はためけ!IOCプロトコール 1964年、東京でオリンピックが開催された際、開会式の国立競技場のメインスタンドには、オリンピック旗、日の丸に並んで、東京都旗が掲揚された。 それから時を経て、旗についても明確な決まりができ、開会式では、オリンピック旗、オリンピック発祥の地であるギリシャ国旗、開催国の国旗が掲揚されることがルール化されている。開会式には、開催都市を象徴するものは登場しない。 大会を象徴する開閉会式で、都旗を何らかの形で使用できないか。まずは、組織委員会の開閉会式担当部門からIOCの開閉会式担当は働きかけを行ったが、1年近く、全く進まない状態が続いた。進まない状況を打開しなければならない。単に都旗を使わせてくれではなく、東京大会オリジナルなロジックを強調していくことにした。都旗はレガシー 都旗は、1964年の10月に制定された。大会に合わせて作られたものであり、いわば64年大会のレガシーと言えるものである。レガシーを持ち出し64年大会と20年大会の繋がりを見せることは有効と考えられた。 また、当時、コロナの中で大会準備を進めている最中であった。コロナの中では、都民の理解と協力があってこそ大会は成功する。IOCに対しては、都民の理解と協力に応えるメッセージとして、東京のコミュニティの象徴である都旗を競技会場や開閉会式に使用することの意義を説くことにした。 IOCに対して、都から正式にレターを出した。また、スキーのIFの副会長である国際局長が、ダイレクトにIOCプロトコールのヘッドにコンタクトをとり、働きかけた。都旗はためく IOCからは、次の判断が下された。①国立競技場に都旗を掲げる ②選手村に都旗を掲げる、③メインプレスセンターで都旗を掲げる ④閉会式のハンドオーバーセレモニーで、都知事とパリ市長の脇に、それぞれの都市の旗を掲げる。そして、大会期間中、都旗は、はためいた。気づきと学び オリンピックにおいても、ルール・決まりごとはありつつも、ネゴシエーションが重要であることを何度となく痛感した。本件も、その一つの例である。 今後の都政において、ますます海外との交流・交渉が増えていくことになると考えられる。その際には、都の主張を通すための術も重要である。史上初めての挑戦 2020大会は、史上初めて、使用済の携帯電話や小型家電などに含まれる金、銀、銅を使って、約5,000個の入賞メダルをつくるプロジェクトに取り組んだ。携帯電話1台当たり含有量は■かであることから、当初は、関係者のなかにも、リサイクル金属が100%集められるかどうかを心配する声があった。試行錯誤の回収 実際に、開始してみると、「銀」の回収が伸び悩んだため、「銀」の含有が多いとされる使用済パソコンなどの回収に力を入れたりと、試行錯誤をしながら進めていたのは正直なところである。また、回収拠点の拡大だけでは限界があったため、パートナー企業や、連携大学などに協力してもらい、組織力を活かして社員や学生の方に携帯電話などを回収して貰ったほか、東京都では、パリ市の協力により、パリで使用済の携帯電話の回収にも取り組んでいる。多くの方々の参画 さらに、国内市区町村の9割以上が、小型家電リサイクルの取組みを進め、本プロジェクトに参画するに至ったことは、重要な成果ともいえる。廃棄されたり、基盤部品だけが海外に売られたりすることが多い小型家電が、リサイクルや精錬を経て再生され、国内で循環利用されることは、意義のある取組みである。持続可能な社会へ 中心的な役割を担った株式会社NTTドコモ、一般財団法人日本環境衛生センター及び小型家電リサイクル事業者とともに、2020組織委員会、環境省、東京都、そして参画してくれた企業、大学、自治体をはじめ、多くの関係者が一体となって取り組んだ結果、この壮大なプロジェクトは成功裏に終えることができたが、その背景にあったのは、長年にわたり培ってきた国内リサイクルの仕組みや、卓越した精錬の技術などであったことも忘れてはならない。 今後も、こうした取組みを、レガシーとして継承・発展させていくことが重要である。71コラム:「 都旗よ、はためけ! 」「みんなのメダルプロジェクト」 〜次世代に向けたメッセージ〜
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