パラスポーツ・パラアスリートの支え手の方々からのメッセージ ~ボッチャ~


 ボッチャ日本ボッチャ協会事務局長などをされている三浦裕子(みうらひろこ)さん支え手としての役割、パラスポーツやパラアスリートの魅力などをお伺いしました。
 ボッチャを支える方、競技、選手を知って、みんなで応援しましょう。

★ボッチャ
 三浦裕子(みうらひろこ)さん
 (日本ボッチャ協会事務局長、広報・普及振興担当、マーケティングアドバイザー)


(写真提供 日本ボッチャ協会)

<プロフィール>
国立大学法人鹿屋体育大学卒 株式会社プラミン代表取締役
競泳選手としてJOCジュニアオリンピック、国民体育大会で優勝経験を持つ元アスリート
スポーツメーカー勤務時代に日本のトップ選手のサポート業務に携わりオリンピックを含め国際大会の現場を経験
現在はスポーツマネジメント会社を経営し、日本ボッチャ協会の様々な業務にも携わっている。

ボッチャ競技の活動に携わることになったきっかけを教えてください。

 もともとはスポーツメーカーに勤めており、そこでトップアスリートのサポートをする仕事をしていました。自分自身も6歳頃から水泳をやっていたので、その流れで自然にスポーツ関係の仕事に就きましたが、どちらかと言うと、自分が前に出るというよりは、選手のサポートをしたいと思っていました。
 その後、オリンピック関係の仕事にも携わっていたのですが、ちょうど東京大会の招致の頃から、パラリンピアンの方々と一緒に仕事をする機会があり、「今後も色々と手伝ってほしい」というような話をいただいて、それからパラリンピック関係の仕事にも携わるようになりました。
 東京大会の開催が決まり、東京都の「NO LIMITS CHALLENGE」という事業(パラリンピックの競技体験を都民の方々に提供する事業)に仕事で関わる中で、ボッチャの競技や選手と知り合い、大会などもよく観に行くようになりました。重度の障がいがある選手たちが、あれだけすごいパフォーマンスができるところにボッチャの奥深さを感じていたところ、リオパラリンピックの前年に、ボッチャ日本代表の村上監督から「リオパラリンピックでは必ずメダル獲る。その次の東京パラリンピックに向けて忙しくなるから、ぜひ手伝って欲しい」と言われ、広報のお手伝いをするようになったのが、ボッチャ競技に携わるきっかけです。
 パラリンピック自体あまり知られていなかったので、色々なリソースを入れ、知ってもらうための普及・広報に取り組みました。まず、「火ノ玉ジャパン」(https://japan-boccia.com/players)という、ボッチャ日本代表の愛称をプロデュースしました。その後、リオ大会で選手が頑張ってメダルを獲ってくれたことで勢いがつきましたが、東京大会に向けては、ボッチャを国民的スポーツにすること、そして金メダルの獲得を目標に掲げ、本腰を入れて普及・広報に取り組むことになりました。
 日頃、強化・普及・プロモーションの3つをどう合致させるのが効果的かを常に考えています。東京パラリンピックではこうなりたいという明確なものを描き、今年はこれをやる、来年はこうやる、というふうに取り組んでいます。スポーツビジネスを考えた時に、パラリンピック競技を広めるのであればオリンピックと同様、まずマーケティングをしっかり考えることが重要なので、戦略を立て、それを1個1個アウトプットしていっています。まだまだ道半ばで、今も必死に行っています。
 メディアの方々には定期的に、競技や選手を知ってもらう場を提供するようにし、そこでは、単に取材だけでなく、体験会や講習会なども取り入れ、知ってもらうということに力を入れています。また、東京大会が決まって急に対応することも増えてきたため、組織基盤の強化やスタッフ人材の確保・育成も図りつつ、支え手を増やすためのサポーター講習会の開催や、次世代を担う人材確保のため、大学との連携なども行っています。
 企業や学校での普及も積極的に取り組んでいます。これまでの様々な取組の成果もあって、一般の方々が、ボッチャをコミュニケーションツールとして活用してくれるようになり、企業の研修会や学校教育の現場などでも、たくさん行っていただいています。
 また、全国の特別支援学校や特別支援学級などに通う児童・生徒が参加する「ボッチャ選抜甲子園」事業を始めてから、ボッチャをクラブ活動として実施される学校も徐々に増えてきており、選手が育ってきています。選手発掘のための様々な事業とともに、大会も選手発掘という点で大きな役割を果たしています。IMG-1664.JPG
(写真提供 日本ボッチャ協会)

ボッチャの魅力を教えてください。

 誰でもどこでも、障がいの有無に関わらずできるというところが一番の魅力だと思っています。また、簡単そうに見えますが、やってみると難しさが分かりますし、緻密な戦略や技術力が求められる奥が深い競技です。競技時間は長いときで90分くらいにもなり、ずっと考えている選手もいて、相当ナーバスになったりもします。とにかく頭を使う競技で、将棋のように何手か先までを読んで戦っています。 
 日本はランキングの高い選手がそれほど揃っているわけではないですが、リオパラリンピックでは団体戦でメダルを獲っています。それは何がすごいかと言うと、選手同士でコミュニケーションが取れているところ、それぞれの持ち味をいかしつつ戦略的なチームプレーができているところで、それが日本の強さの秘密かなと思っています。
 また、ボッチャを知ることで、障がいがある方々の世界を知ることができるとも思っています。ボッチャは重度の障がいを抱えている選手が多く、そうした選手は介助者が必要で、パフォーマンスを発揮するためにスタッフのサポートは重要なファクターでもあります。
 支えるスタッフの一人ひとりが個々の障がいをよく理解しサポートしていて、選手たちもそれを見て、お互い尊敬し合いながら、ひとつのチームで戦っています。その様子を見るたびに、ボッチャに関わることで垣根のない社会をつくっていけると感じていますし、共生社会の実現につなげていけるのではないかと思っています。


 

 (写真提供 日本ボッチャ協会)

選手との思い出のエピソードを教えてください。

 ボッチャの選手たちは、リオパラリンピック前の出会った当初は、オリンピック選手と比べ、その経験値からかアスリートマインドの低いところがしばしば見受けられましたが、東京パラリンピックに向けては、戦う姿勢が変わってきたと思います。メディアの方々の前での発言もそうですが、何より2019年の日本選手権での各クラスの決勝、選考がかかる重要な大会で、とても緊迫した1戦1戦の中、BC2クラスの廣瀬隆喜(ひろせたかゆき)選手、杉村英孝(すぎむらひでたか)選手だけでなく、決勝に進んだ全てのクラスの選手が1球1球、素晴らしいプレーをしていた姿を見て、とても逞しく見え、感動して心が揺さぶられたのを覚えています。過去のオリンピック以来、様々な競技を見て感動して涙が出たのはその時が久しぶりでした。東京大会では、是非、火ノ玉JAPANの選手たちのパフォーマンスを見ていただきたいです。
 他にはトップクラスの選手の試合だけでなく、ボッチャ選抜甲子園で、普段、遠距離の移動が大変な子供たちが全国から集まって、いきいきとプレーして、そこで勝ち負けを味わって、勝って喜んだり、負けて悔しくて泣いたりしている姿を見た時は、凄い青春だ!と、本当に感動しました。またボッチャ選抜甲子園が、移動が難しい環境にある子供たちが社会に出て、社会との関りが持てる良い機会になっているのではないかと思うと、大会として大変意味がありますし、本当に関わることができて嬉しい気持ちです。
 選手は介助や支えが必要な面が多い分、謙遜する選手がいますが、サポートに頼りすぎず、自分でこうしたいという気持ちが芽生えて、自ら強い意思を持ち行動をすることが大切だと思います。強化スタッフが「世界で戦える選手になるには、自分で考えて自分でできるようにならないと勝てない」と言って、あまりサポートし過ぎず、それでもポイントはちゃんと押さえて選手を導いているのを見て、この競技にはじっくり見守る姿勢が大切なのだなと、私自身、勉強させてもらいながら選手と接しています。



(写真提供 日本ボッチャ協会)

パラリンピック・パラスポーツへの思いをお聞かせください。

 パラリンピックの成功が東京大会の成功だと言われるのは、パラリンピックには社会を変える力があるからだと思います。パラリンピックに触れると色々な気づきが生まれ意識が変わると思います。まずは、パラリンピックを観て、パラアスリートの凄さを感じてほしいという思いが一番にあります。また、パラリンピックを観て、そこに触れて感じることが、共生社会やインクルーシブな社会の実現につながっていくと考えています。まさにそれを、私たちが伝えていかなければと思っています。ボッチャは、垣根のない社会を作ることができるという存在意義あるので、これからもぜひ多くの方に見て知っていただいて、そういう社会をつくれたらいいなと思っています。 
 協会としては、東京パラリンピックはスタートだと思っています。東京パラリンピックが決まってから、様々な気運醸成などによりパラスポーツの基盤ができてきて、これからそれをどういかしていくのか、きちんとランディングしていかないといけないと思っています。
 また、パラスポーツの普及に向けては、ボッチャだけではなく、様々なパラスポーツの競技団体と連携して取り組んでいければと思っています。競技によって障がいは多様ですし、一緒に取り組んでいくことでその多様性も伝わっていくと思います。



(写真提供 日本ボッチャ協会)

(令和3年1月 東京都オリンピック・パラリンピック準備局パラリンピック部調整課インタビュー)