パラスポーツ・パラアスリートの支え手の方々からのメッセージ ~パラカヌー~

 カヌートレーナー・国際クラス分け委員をされている坂光徹彦(さかみつてつひこ)さん支え手としての役割、パラスポーツやパラアスリートの魅力などをお伺いしました。カヌーを支える方、競技、選手を知って、みんなで応援しましょう。

★カヌー
坂光徹彦(さかみつてつひこ) さん
トレーナー・国際クラス分け委員

(写真提供 日本障害者カヌー協会)
<プロフィール>
1977年生まれ。広島県出身・在住
広島大学病院(広島大学病院スポーツ医科学センター)に勤務し、プロ・アマの多くの種目の選手のフィジカルチェック 、トレーニングやリハビリテーションを行っている。
日本障害者カヌー協会の活動のほかに、アンプティサッカー・ブラインドサッカー・電動車いすサッカーのチームを有するA-pfeile広島の代表、広島県インクルーシブフットボール連盟の会長を務める。

カヌーのトレーナー・国際クラス分け委員に携わることになったきっかけを教えてください。

 僕はもともとサッカーをしていたのですが、ある時ケガをして、その時に理学療法士に出会いました。お医者さんだと、レントゲンを撮って湿布や痛み止めで終わることもありますが、理学療法士は、この試合で復帰したいといった要望を言うと、回復のためのプロセスを具体的に説明してくれてそこに寄り添ってくれました。この経験がもとになって、自分も理学療法士になって、スポーツ選手たちの復帰やケア、トレーニングのサポートをしたいと思うようになりました。僕がトップレベルの選手や医者になることはできないとしても、選手に寄り添って目標に向かって結果を残していく手助けができる仕事として、理学療法士の道を選びました。
 最初は、病院に勤めながら健常のスポーツ選手のトレーナーをしていましたが、職場の勉強会で障がい者のサッカー(アンプティサッカー)があることを知り、パラスポーツに関心を持つようになりました。2013年8月に東京から地元広島に戻り、9月に中級障がい者スポーツ指導員の養成講習を受講したのですが、そこで同じく受講生として会場にいらしたパラカヌー前日本代表監督の鳥畑さんと出会い、パラカヌーについて色々とお話を聞く機会を得ました。その後、2014年3月に香川県で行われた海外派遣選手選考会で初めてパラカヌーの競技を見ました。
 その頃、国内の選手はまだ3、4人しかおらず、パラカヌーはパラリンピックの種目にもなっていなかったので、トレーナーなどの専門職がチームや選手に付いていませんでした。そこで、鳥畑さんからトレーナーとして誘われたのが、僕がパラカヌーに関わるようになったきっかけです。2014年の世界選手権に初めて代表のトレーナーとして連れて行っていただいて以降、2019年まで世界選手権、ワールドカップには常に帯同させていただいています。
 最初はトレーナーとして、選手たちのコンディショニングや、大会や練習の時のケアを中心に行っていましたが、2014年の世界選手権で、鳥畑さんから「クラス分けができるのは、医師や理学療法士の資格を持った人だけ」、「パラカヌーが日本で発展していくためには、クラス分けの知識を持った人材が必要」という話を聞き、実際に障がいのクラス分けを見学させていただく機会を得ました。それから、日本選手権などの国内大会でクラス分けを担当するようになりました。
 その後、2015年に国際カヌー連盟が初めて行った、フランスでのパラカヌー国際クラス分けワークショップを受講し、インターナショナルクラシファイヤー(国際クラス分け委員)のレベル3の資格を取得し、以降、国際大会でクラス分け委員として活動しレベルアップを図り、2020年3月には最上級のレベル5の資格を取得し、国際カヌー連盟の正式なクラス分け委員となりました。現時点で、レベル4以上の資格を持つ人は、東アジアでは僕1人です。
 公平性を保つため、障がい者スポーツにはクラス分けは欠かせません。障がいの重い人と軽い人が一緒に競って、障がいの重い人は勝てない、その競技ができない、というふうにならないよう、障がいの程度、身体機能により、同じくらいのカテゴリに分けられます。まさに、どの選手がどのクラスになるのかを決めるのがクラス分け委員の仕事です。
 カヌーの場合、問診から始まって、身体のどこがどれくらい動くのか動かないのかなど、身体機能面の評価であるメディカルテストをして、その後、水上で実際にカヌーに乗ってもらった時の動きをみるテクニカルテストを行います。そして、両方の整合性があるかというチェックをして総合的にクラスを決めます。
 僕は、東京パラリンピックが決まって国際クラス分け委員レベル5を取得してからは、日本選手団が参加しない大会に限って、クラス分け委員としての活動を行っています。もともとはトレーナーとして関わってきた経緯があり、東京大会に向けて頑張っている日本の選手をトレーナーとしてサポートしたいと思っているため、日本選手団が参加する国際大会などでは、チーム付のトレーナーとして大会に帯同しています。
 普段は、トレーナーとして、選手のケア、コンディショニング、トレーニング、シートの調整のお手伝いをさせていただいています。パラカヌーの選手は、座位が保てないなどの理由で、障がいに応じ、身体に合った特別なシートを必要とすることがあります。そういう時は、実際に選手の身体がどこまで動くのかを分かっているトレーナーとして、技術者(メカニック)やコーチとタッグを組んで、シートづくりのアドバイスなども行っています。
















(写真提供 日本障害者カヌー協会)

カヌーの魅力を教えてください。

 一番の魅力はスピードです。200メートルの直線勝負で誰が一番速いかを競うので、一見単純そうに見えますが、実は奥が深い競技です。大きく動けば速く進むように思いがちですが、エネルギーを消耗しないように必要最小限の力で最大の効果を発揮するようにしなければなりません。パワーだけでなく、水や風の動きなどに対する繊細な感覚や、強靭なメンタルも必要になります。さらに、身体に合った装具も必要になったりと、色々な要素が共存しているスポーツです。
 また、艇に乗って段差もないフラットな状態で、健常の選手もパラの選手も同じ水面で同じように競技ができるという意味では、パラカヌーは、まさに水上のバリアフリー競技と言えるかと思います。
 それから、世界大会に行くと、選手もスタッフ同士もとてもフレンドリーです。このスポーツをみんなで盛り上げていこうという思いを感じます。どんな練習をしているのか聞くと、みんな気軽に教えてくれますし、「日本に行くよ」「日本で一緒に練習しよう」などと、とってもフレンドリーなので、スポーツを続けていく意味ではプラスなことなのかと思います。





(写真提供 日本障害者カヌー協会)

選手との思い出のエピソードを教えてください。

 今までで一番思い出に残っているのは、瀬立モニカ選手(KL1(カヤックのクラス1))が2019年の世界選手権で東京のパラリンピックの出場内定を決めたときです。瀬立選手とは、本人から合宿があるので来てほしいと依頼があれば行っていますし、コーチと一緒に大会に向けた練習のプログラミングをしたりしているので関わりが深いです。
 瀬立選手は、リオ大会の時は、選考会では負けて繰り上げで出場となったので、自力で出場を勝ち取ったという実感が正直ありませんでしたが、東京大会については、世界選手権で5位に入って自分で枠を取ってきたので、本人も大喜びで、あの瞬間が一番思い出に残っています。
 瀬立選手は、リオ大会は初出場で8位入賞でしたが、僕らにとっては、出場した決勝で一番後ろで帰ってきたということで、手放しで喜べないというか悔しいという気持ちの方が強かったです。そこから3年間にわたり、コーチ、技術者、監督が付いて、みんなで一緒に取り組んできた成果があの大会のあの瞬間です。それまでの努力、それまでみんながチームで作り上げてきた成果が、ちゃんと結果として出たというのが嬉しかったです。東京パラリンピックで、新しい思い出に塗り替えてくれるのを願っています。
 しっかりと目標をもってカヌーに向き合おうという選手には、僕らも全力で関わるようにしています。特に選手が座るシートには気を配ります。選手の動きを見て、「こういう形に作れないか」、「体のこの部分は動くから、ここを留めるように作ってしまうと選手のパフォーマンスが落ちるのではないか」というようなやり取りを、技術者やコーチとしながらシートを作っていきます。以前、選手のシートを作ったときに、トレーニングをしていくと使っていなかった機能が使えるようになるので、今後もっと身体が動いていくはずという前提でぎりぎりのシートを作ったことがありました。ですが、選手の身体が思っていたように動くようにはならず、ちょっと僕らが先をいってしまったというか、作ったはいいものの当時の身体機能や技術では全然乗れないものになってしまいました。その失敗から、その時点で選手が最高のパフォーマンスを発揮できるシートとトレーニングが重要なんだというのを学び、それが今に生きています。
 その他にも、僕には沢山のエピソードがあって、そうしたエピソードの積み重ねで今後もパラカヌーに関わり続けたいと思うようになったと感じています。カヌーだけでなく色々なパラの選手と関わるようになって、メンタルの面や身体の面について教えてもらうことが多く、それらが僕の中ではエピソードとして積み重なって今があるのかなと思います。





(写真提供 日本障害者カヌー協会)

パラリンピック・パラスポーツへの思いをお聞かせください。

 僕が関わっているパラスポーツ選手の中で、パラリンピックに出場できる選手は限られています。その選手たちには今は様々なプレッシャーをかけ続けようと思っています。大会の直前は、選手にはトレーニングに専念してもらい、僕は、トレーナーとして選手が最高のパフォーマンスを発揮できるように準備をします。4年間積み重ねてきた集大成であり、選手が一番納得するレースができるのを願っていますし、それに対する準備には協力を惜しみません。選手からすれば、当然メダルを取りたいとなるかと思いますが、僕は、メダルやその色は気にしていません。メダルは結果です。選手が結果を出すために、トレーナーとして選手が納得してくれるような準備・サポートができること、それこそが僕の役割で、東京パラリンピックに対する意気込みです。
 東京パラリンピックは、たくさんの人にパラスポーツの楽しさを知ってもらうチャンスだと思っています。東京で大会が開催されるからこそ、今までパラスポーツに興味があった人も無かった人も関係なく情報が入ってくるので、どんなところでもいいので面白いと感じてもらえると嬉しいです。それによって、将来パラスポーツに関わりたいという子供たちが増えてくれればと期待しています。
 パラスポーツに関して言えば、「普通」になってほしいと思っています。障がいがある方と無い方、子供たち、高齢の方、病気の方とそうでない方、みんなが普通にその場にいることが大事です。僕は、トップ選手だけを見続けるのではなく、誰もが普通にスポーツができるような土壌を作って、もっとすそ野を広げていけたらと思っています。
 そもそもスポーツには色々な効能があって、人生を豊かにするコンテンツの一つだと思います。中でもパラスポーツは、ルールや用具を変えたりしてインクルーシブにみんなが楽しめるというのが良いところだと思っています。その最高峰がパラリンピックだとしたら、そこに出ているヒーローたちを見ることで、スポーツを始めてみようかなと思う人が増える、まさにこの東京でやることでそういった効果が出たら良いなと思います。










(写真提供 日本障害者カヌー協会)

(令和2年12月 東京都オリンピック・パラリンピック準備局パラリンピック部調整課インタビュー)