パラスポーツ・パラアスリートの支え手の方々からのメッセージ ~車いすマラソン ほか~


 競技用車いす(レーサー)
製作をされている小澤徹さん支え手としての役割、パラスポーツやパラアスリートの魅力などをお伺いしました。車いすマラソンなどを支える方、競技、選手を知って、みんなで応援しましょう。


★車いすマラソン ほか
小澤徹(おざわとおる)さん
(競技用車いす(レーサー)製作者)

(写真提供 (株)オーエックスエンジニアリング)

<プロフィール>

株式会社M2デザイン研究所 第二製造課課長 1969年生まれ

1995年3月 千葉工業大学 機械工学部 機械工学科卒業 
1998年8月 様々な職歴を経て、㈱オーエックスエンジニアリングに入社。スポーツ技術開発室に配属。バスケ、テニス用車いすの組立作業業務
1999年2月 レース用車いすの組立、フレームパイプ加工作業、フレーム修理、改造作業担当
1999年10月 レース用車いすフレーム溶接作業を兼務
2002年10月 釜山で行われた、第8回フェスピック競技大会で陸上競技メカニックを担当
2003年12月 香港で行われた、第1回フェスピックユース競技大会で陸上競技メカニックを担当
2008年9月 北京パラリンピックの陸上競技メカニックを担当
2012年8月 ロンドンパラリンピックの陸上競技メカニックを担当
2016年9月 リオデジャネイロパラリンピックの陸上競技メカニックを担当

競技用車いす(レーサー)製作に携わることになったきっかけを教えてください。

 長野パラリンピックがあった1998年に、オーエックスエンジニアリングに入社しました。色々仕事を探していたタイミングで、長野パラリンピックのアイススレッジスピードレースを観て、地元のオートバイの部品を作っている会社が、そうした競技用車いすも作っているのだと知りました。それが今の会社です。もともと自転車が好きで自転車に似たようなところもあって惹かれました。
 入社してから、車いすバスケットボール、車いすテニス、陸上競技など色々な競技用の車いすを作っていることを知りました。2000年にシドニーパラリンピックが行われ、そこに出場する選手の競技用車いすを色々製作している中、陸上競技用の車いす製作を手伝ってくれないかと言われたのがきっかけで、それから20年以上ほぼ陸上競技専門で車いす製作に携わっています。
 競技用車いすの製作は、じっくり話をしながらでないと選手が望んでいるものができないので、そこには十分時間をかけています。選手それぞれ、障がいの種類や体形も違うので、それらに合わせて作るのが難しいところです。また、選手の競技データ、特徴など、色々な要素を取り入れていかないと選手に合った車いすは作れません。










(写真提供 (株)オーエックスエンジニアリング)

車いすマラソンなど、競技用車いす(レーサー)を使う競技の魅力を教えてください。

 何といってもスピード感です。車いすマラソンは沿道で見るとあっという間に通り過ぎますし、テレビで観ていてもスピード感があります。トラック競技の場合、直線とカーブの繰り返しなので、相手を避け切れずに転倒することもあります。
 また、選手間の駆け引きも魅力です。選手もそれぞれ個性があって、上りで速い選手や、平たんでトップスピードを維持できる選手など、色々な選手がいます。例えば、トラック競技の1500mや5000mでも、走っている中で様々な駆け引きがあり、最後の最後で逆転ということもあります。そういった駆け引きを見ているのはとても面白いです。
 これまでで凄かったなという瞬間は、2018年の大分国際車いすマラソンでのことです。車いすマラソンは最後トラックでゴールとなりますが、共に当社で車いすを作っているスイスのマルセル・フグ選手と鈴木朋樹選手(東京2020パラリンピック出場内定)が、最後の直線まで競り合って、数秒差で1位、2位でゴールした瞬間を目の当たりにしたときはすごく感動しました。
 ライバル同士で当社の車いすを使っている選手もいますが、選手一人ひとり目標があって、選考のためのレースであったり、乗り方やフォームを変えて試すためのレースであったりするので、それぞれに目標が達成できているかを気にしながら見ています。

(写真提供 (株)オーエックスエンジニアリング)

選手との思い出のエピソードをお聞かせください。

 アメリカのタチアナ・マクファデン選手(パラ陸上、ロンドン大会・リオ大会金メダリスト)は、当社に車いすを作りに来ます。タチアナ選手は車いすにとてもこだわりがあって、日本での滞在期間は1週間くらいだと思いますが、毎日のように来ては、自分の車いすの出来具合を確認します。例えば、身体を抑えるためのベルトの位置なども、もうちょっと前とかもうちょっと後ろとか、本当にミリ単位で修正します。そういうことを繰り返しながら夜中まで作業します。せっかく日本に来たからちょっとどこか遊びに行こうかというのもなく、当社にあるトレーニングローラーで練習を始めるのです。タチアナ選手はものすごく熱心で、そのくらいする選手はやはり強いですし、そういった選手が活躍してくれるとやっていて良かったなという気持ちになります。
 私が手掛けた車いすを使って、選手が大舞台で活躍してくれるのは大変な誇りですし、とても嬉しいです。自分がレースに出ているわけではないのですが、自分事のように応援しています。 

(写真提供 (株)オーエックスエンジニアリング)


パラリンピック・パラスポーツへの思いをお聞かせください。

 東京パラリンピックに向け、パラスポーツを取り巻く環境も変わってきたと思います。例えば、以前は、選手たちは海外遠征に行くのにも自費でしたが、今は競技団体などから強化費が出たりするようになりました。また、企業に所属して活躍する選手も増えてきました。パラリンピックバブルなどと言われたりしますが、こうした環境が大会後もずっと継続してほしいと思います。
 また、今年は中止になりましたが、当社では、年に1回、車いすレースの記録会にスタッフとして参加しています。そのときに活躍した障がいのある子供たちに、競技用の車いすをプレゼントして、その後も頑張って競技を続けてもらおうという活動をしています。鈴木朋樹選手も、以前はその競技会でもらった車いすを使っていましたし、今もパラリンピックを目指している選手でそういった方は何名かいらっしゃいます。
 健常者であれば、子供の頃からサッカーをやったり野球やったり、スタジアムに行って選手を見たりということができますが、障がいをお持ちのお子さんはなかなかそういう機会がありません。ぜひパラリンピックを観て、障がいのある子供たちに自分もやってみたいと思ってもらいたいし、そうした子供たちに、競技の体験や車いすの貸し出しを行う場所が増えて、子供たちの「やりたい」という気持ちを育てていくことは、これからの選手を育てる上で非常に大事なことだと思っています。

(令和2年10月 東京都オリンピック・パラリンピック準備局パラリンピック部調整課インタビュー)