パラスポーツ・パラアスリートの支え手の方々からのメッセージ ~パラサイクリング~


 パラサイクリング義肢装具士をされている齋藤拓(さいとうたく)さん支え手としての役割、パラスポーツやパラアスリートの魅力などをお伺いしました。
 パラサイクリングを支える方、競技、選手を知って、みんなで応援しましょう。

★パラサイクリング
 齋藤拓(さいとうたく)さん
 (義肢装具士)

(写真提供 齋藤拓さん)

<プロフィール>

2004年3月に熊本医療福祉学院を卒業し、2004年4月に公益財団法人鉄道弘済会に入会する。この年、藤田征樹選手と出会いスポーツ用義足の製作を手掛けるようになる。2015年2月に公益財団法人鉄道弘済会を退会し、2015年3月に有限会社アイムスに入社する。パラサイクリング義肢メカニックとなり選手のサポートを行う。パラ陸上の中西麻耶選手をはじめ陸上の選手の義足製作も手掛けている。

義肢装具士となり、パラサイクリングに携わることになったきっかけ、活動内容について教えてください。

 まず、義肢装具士を目指したきっかけですが、高校生の時に、シドニーパラリンピックを特集したテレビ番組で、スキー板を曲げたような板バネを使った競技用の義足で初めてパラリンピックに出場した日本人選手を紹介しているのを見て、義肢装具士という職業を知り、僕も競技用の義足を作ってみたいと思ったのがスタートです。
 元々スポーツが好きだったのですが、いざ進路を考えた時に、スポーツだけでやっていけるレベルでもなく、また、小さい頃からプラモデルを作ったり、木材を加工して遊んだりと、ものづくりが好きだったこともあり、ちょうど、ものづくりでスポーツをサポートする義肢装具士という職業が、僕の中でピタッとはまったところがあったのだと思います。
 高校卒業後に専門学校に入って、3年間のカリキュラムを受けて、義肢装具士に係る国家資格の試験を受験して合格し、卒業後、今から17、18年前になりますが、スポーツ用の義足も手掛ける鉄道弘済会に就職しました。
 そこで、1年目の時に、パラサイクリングの藤田征樹選手(リオパラリンピック 男子ロードタイムトライアル (C3) 銀メダル)と出会い、幸運なことに自転車用の義足やランニング用の義足の製作に携わることができ、そのまま現在も担当させていただいています。パラサイクリングには太ももから下を切断された方のクラスがあり、選手は片足で自転車を漕ぐのですが、反対側の切断部を差し込んで支えるためのカップを製作することもあります。また、事故により手が動かなくなった方がハンドルを握れるような装具を作ったり、手足の機能を失ってしまった方に機能を補うための装具を作ったりもしています。
 日頃は、こうした製作活動に加え、義足等は練習メニューや鍛え方が変わるだけで調整が必要になってくるので、選手とは密に連絡を取り合い、「こういう調整をしてほしい」と要望があった時は、すぐ動けるように常に準備しています。また、世界選手権やワールドカップなどの大会や合宿にも、パラサイクリング連盟の義肢メカニックとして帯同しています。大会中、僕らが動くのは、選手がピンチの時や義足がうまくいっていない時になるので、基本的に何もないというのが一番です。いつも、トラブルなく選手が競技をできることを祈っています。海外遠征の際は、海外の選手がどのような義足を使っているのか、一緒に話をしたり写真を撮らせてもらったりしながら情報を集め、より良い義足づくりにいかしています。
 義肢装具士の作業の中で一番気を遣うのは、ユーザーの方の型をとることと、装着時に痛くないようとった型を修正することです。そこが義足等の性能の8割9割を決めるので、一番の腕の見せどころであり、一番大事にしている過程です。よく「コンマ何ミリを詰めていく作業は大変じゃないですか」と言われるのですが、最初の時点で何点かが重要だと思っています。最初に装着した段階で40点くらいで、そこから100点に持っていくというのではダメで、最初から80点90点くらいのものを作って、そこから100点に持っていくことを目指しています。やはり最初に装着した時に痛かったり、ゆるくて使えないというのは論外で、その段階である程度、身体にフィットして快適に感じてもらわないとダメなんです。
 選手の期待に応えて100点を目指していくプレッシャーは毎回すごく感じますし、型をとってから仮合わせまでの1、2週間は色々な作業がありますが、この間はずっと気分が重いです。義足等はモノなので、身体に装着した時に違和感があると異物になってしまいます。逆に身体にピタっとフィットすると、身体の一部になって全く重さを感じなくなるので、装着した瞬間に「軽いですね」と言われた時は、義肢装具士として達成感を感じます。義足等を使用する人のフィット感や着け心地などは一人ひとり異なり、義肢装具士が全部を感じることはできません。本人の感想や、目で見たり触れたりして得られる情報から全てを判断しなくてはならず、なかなか難しい世界だと思います。今でも日々頭を悩ませながら仕事をしています。


(写真提供 齋藤拓さん


写真提供 JPCF

パラサイクリングの魅力を教えてください。

 スピードがすごく速く、僕が知る限りでは、人間が自分の力で一番スピードを出せる競技ではないかと思っています。トラックレースでもそうですし、ロードレースでは何十人という大人数ですごいスピードでレースをするので、その迫力は本当にすごいです。
 パラサイクリングの世界では、様々な障がいのある方が乗れるように、自転車や義足、義手、装具等に健常の自転車にはない色々な工夫がなされていて、自転車ってここまで変われるんだなという造りもたくさんあって本当にびっくりします。例えば、自転車そのもので言うと、選手の障がいに応じて、ハンドサイクルやタンデム自転車、三輪自転車などの種類があるほか、左右でペダルの長さが違ったり、ハンドルがなかったり、また、両手がない選手の場合、太もも部分にブレーキを付けて調整するなど、本当に色々な工夫がなされています。腕の先にフックのような装具を付けてハンドルを握れるようにしている義手の選手もいます。こういったところに注目して見てもらえると、自転車が好きな人も興味がない人も、グッと引き込まれるのではないかと思います。
 義肢装具士としては、トラックとロードでは、自転車自体(の造り)もレース中のポジショニングも異なるため、全くの別の種目として義足や装具等を作ります。また、それぞれの選手の障がいに応じて自転車の種類が異なったり改造されていたりするため、どうしたらペダルを効率よく回転させられるか、無駄なく力が伝わるかなど、熟慮を重ね、様々な工夫を取り入れて製作しているので、そういったところにも注目してほしいです。
 自転車競技は、選手自身が地面を速く走るのではなく、地面を滑る自転車をどのように操っていかに速く走るかが重要になるので、そういう意味で、ワンクッション多くなります。パラサイクリングの場合は、人の身体があって、義足等があって、そこに自転車が加わるという感じになります。そのため、義足等を作り上げていくのもより難しい部分があるのですが、その難しいことに挑戦していることに面白味を感じます。例えば、片脚義足の選手だともう片方の脚のデータを基に、つま先の位置などのヒントを得て義足を製作していくのですが、藤田選手のように両脚義足の方は、つま先の位置などをゼロから探していく作業になります。繰り返しの作業になりますが、その先に良い義足ができます。




 


(写真提供 JPCF)

選手との思い出のエピソードをお聞かせください。

 ロンドンパラリンピックで、競技が終わって、見事銅メダルを獲得した藤田選手が表彰台に上がっているのを見た時のことです。藤田選手は、色々なものから解放されたという感じですごくいい顔をしていました。努力を重ね戦い続けてきた4年間の集大成として、こういう顔になれるのだと思いました。その時は、僕自身も4年間を思い出し、色々なものが込み上げてきて、忘れられない感動の瞬間となりました。
 また、今でも忘れられないのは北京パラリンピックに向けた合宿の時です。よく「選手は吐くまで練習する、そのくらいの努力をする」と聞きますが、藤田選手は本当に吐きながら練習していて、そこまで自分を追い込むのかと、華やかな舞台で活躍している裏でこんなにも努力をしているのかと、その姿を目の当たりにして、すごく衝撃的でした。その当時は競技力強化の部分についてはよく知りませんでしたが、0.1秒を争い、世界の舞台で戦うためにはここまでやるのかと、気が引き締まる思いでした。そうした努力をしてきても、その日のちょっとした運や違いでメダルの色や順位が変わってしまう、これが世界の舞台なのだと知りました。藤田選手は、ずっと努力し続けている選手で尊敬しています。僕も、その努力に応える義足を作らなければいけないと思っています
 競技中は、僕は選手を応援するというよりは、義足や装具のことばかり気にしています。きちんと選手のフォームに合わせて動いているか、壊れはしないか、そんな思いで見つめながら、「無事にゴールしてくれ」と祈っています。僕は、義肢装具士になったきっかけがパラリンピックだったので、自分自身、実際にパラリンピックの舞台で担当させていただいて、選手には夢をかなえてもらっているという思いでいます。

(写真提供 JPCF)

パラリンピック・パラスポーツへの思いをお聞かせください。

 パラリンピックは4年に一度行われる大会なので、トップアスリートたちは、今は東京大会に向けて、それが終われば次の大会に向けて準備をしていきます。僕も、それに合わせてより良い義足等を作って、選手のサポートをし続けていきたいと思っています。
 これまでは、義肢装具士として、日本代表選手などトップアスリートのサポートに携わることが多く、障がいのある方がスポーツを始めるきっかけ作りであるとか、純粋にスポーツを楽しむ方々へのサポートといったことに関わる機会があまりありませんでした。これからは、今まで得た知識や技術を使って、義足や義手の方など障がいのある方が安心して陸上や自転車などのスポーツを楽しめる環境を作っていきたいですし、それによって、選手の層を厚くしたり、パラスポーツの普及にもつなげていければと思っています。
 2年ほど前から、障がいのある方がスポーツを始めるきっかけになればと、スポーツを楽しむための「リバファン(自由リバティ+楽しむファン)」というチームを立ち上げました。「リバファン」は、障がいのある方が気軽に集まれるようなチームとして、最初の一歩を踏み出すきっかけを提供したり、スポーツの楽しさや負けない気持ち、もっと速くなりたいといった気持ちを実感できるような場を目指しています。今は、義足や義手の方々が集まって、陸上競技を中心に活動していますが、今後、人数が増えてきたら、自転車競技にも広げていきたいです。全国的にもこういったチームが増えてきており、身近にはなってきていますが、それぞれの地域にチームができるともっと気軽に参加できると思います。
 僕が義肢装具士を目指した頃は、スポーツ義足などの製作にはほとんど携われないと聞いていました。実際、そういう機会は多くないのですが、スポーツ義足の製作を手掛けたいという夢を達成するまで、わき目もふらずしつこいくらいにやり続けていれば絶対にチャンスはやってきます。義肢装具士を目指している方や、スポーツ義足を製作したいと思っている方には、「あきらめないで頑張ればできます」と伝えたいです。


(写真提供 JPCF)

(令和3年3月 東京都オリンピック・パラリンピック準備局パラリンピック部調整課インタビュー)