パラスポーツ・パラアスリートの支え手の方々からのメッセージ ~柔道~


 視覚障害者柔道のトレーナーをされている樋口毅史(ひぐちたけし)さん支え手としての役割、パラスポーツやパラアスリートの魅力などをお伺いしました。
 視覚障害者柔道を支える方、競技、選手を知って、みんなで応援しましょう。

★柔道
 樋口毅史(ひぐちたけし)さん
 トレーナー

(写真提供 日本視覚障害者柔道連盟)

<プロフィール>
1988年柔道整復師
2000年全日本柔道連盟Bライセンス審判員
2013年障がい者スポーツトレーナー
2017年日本体育大学保健医療学部准教授
柔道整復師養成校で教育に当たる一方、都内を中心に各種柔道大会の審判員として活動

視覚障害者柔道のトレーナーに携わることになったきっかけを教えてください。

 もともと水泳が好きで水泳をやっていたのですが、中学の時に、自分は体が大きかったというのもあってか、柔道部の先生から誘われて柔道をやるようになりました。なかなか全国大会レベルまでの選手にはなれませんでしたが、大学まで行ってもう少し柔道をやりたいなというのがあって日体大に進みました。そこで、柔道で一角の人になるには生半可では無理だというのが分かり、最初は勉強のつもりで、同じ学校法人内にあった柔道整復師を養成するための夜間の専門学校に行くことにし、昼間は大学、夜は専門学校というダブルスクールをしていました。その専門学校の卒業と同時に、助手として残ってくれないかという話をいただき、大学を卒業した後最初の5、6年は、午前中はその先生が開業した整骨院で修業をし、午後は専門学校の助手として勤務するという生活をしていました。そうした中で、休日は柔道の審判としてお手伝いもしていました。2014年からは、大学の中に、別途、柔道整復師のコースを作るということで、自分も大学に異動になりました。 
 このように、僕は柔道整復の専門領域と柔道の指導に携わってきましたが、アスレチックトレーナーの資格を取りたいと進学してくる若者が増える中、柔道整復師として職域を広げること、先輩として一つのロールモデルとなることを目指して、「障がい者スポーツトレーナー」の資格を取得することにしました。その前に、たまたまテレビで知った「障がい者スポーツ指導員(初級)」の資格を取得したのですが、その時の講習会の資料に、「障がい者スポーツトレーナー」という資格があり柔道整復師の資格を持っていれば取れると書いてあったので、ひょっとしたらと思い挑戦して、資格を取得するに至りました。これが、僕が障がい者スポーツに関わるきっかけです。
 視覚障害者柔道と出会ったのも、ちょうどその頃です。もともと、柔道の審判として講道館に行ったり、テレビで見たりして、視覚障害者柔道の存在は知っていたのですが、盲学校の教員として働いていた大学の後輩と再会した時に、「視覚障害者柔道のお手伝いをしていますが、柔道もできて柔道整復師の資格を持っている人がいないので、先輩ぜひトレーナーをお願いできませんか」と頼まれまして。その盲学校に選手がいて、彼がヘッドコーチとしてロンドンパラリンピックに一緒に行ってきたとのことで、その報告を大学にしに来たときに私のところに寄ってくれその話をしてくれたのです。ロンドンパラリンピックの時、東日本大震災の後に練習場所がなくなり福島から神奈川に来ていた視覚障害者柔道の半谷(はんがい)選手(東京パラリンピック出場内定)を紹介するテレビ番組を見ていて、何かお手伝いができないかと思っていたこともあって、快く引き受けさせていただきました。ちなみに、その後輩は現在、日本視覚障害者柔道連盟で強化委員長を務めています。
 普段は、国内合宿を始め、海外遠征やパラリンピックにも帯同させていただきながら経験を積んでいます。試合中は、故障を抱えている選手はこれ以上ひどくならないようにと、ちょっと手強そうな相手のときにはケガをしないようにと思いながら見守っています。また、負けて戻ってきた時にどうやって元気づけるか、痛いところをフォローするにはどう声をかけたらよいかということも考えています。気持ちの切り替えが上手な選手もいれば、もうちょっとでメダルが獲れたのに!という状況だとなかなか切り替えが上手くできなかったり、ということもありますが、ほとんどが大人の選手のため、気を遣い過ぎてどうこうということまではありません。
 また、大学では、ゼミ活動の一環で、学生たちと一緒に様々な障がい者スポーツを観に行っています。障がいのある方々がスポーツを頑張っている姿を見て、学生たちも思うところがあるようですし、また柔道整復師という立場でどうやって障がいのある方々に関わっていけるか、ということを考える良い機会となっています。

(写真提供 日本視覚障害者柔道連盟)

視覚障害者柔道の魅力を教えてください。

 視覚障害者柔道は、お互いが柔道衣をつかみ合い、組み合ってから試合が始まります。晴眼者の柔道との違いはこれくらいと言ってもいいくらいで、後はほとんど同じです。
 組んでから始めるというのは、ある意味、柔道の基本にかなっていて、技が決まりやすいです。判定勝ちというのはあまりなくて、大技を決めて一本勝ちとか、何らかの形で技が決まって結果が出ることが多いので、見ている人には分かりやすいと思います。
 一方、ずっと組み合ったままで4分間というのはかなり体力がいることで、ハードです。晴眼者の試合では、選手同士が離れたままでも時計は進みますが、視覚障害者柔道の場合、二人が離れると時計が止まるので、そこに凄い持久力や身体機能が必要となってきます。例えば中高校生などに視覚障害者柔道のルールで試合してもらうと、すぐに疲れてしまうと思います。そういう点も意識しながら、観ていただけると面白いかと思います。
 弱視の選手は、おぼろげながら視力を頼って自分の位置を判断したりしますが、全盲の選手は、相手を押したり引っ張ったりすることで力の動きを感じながら、また、耳に反射する音で、自分の立ち位置や距離感を察知します。そうしたことで、本当に視覚に障がいがあるのかと不思議になるくらいの動きをします。見えなくてもこれだけできるという自信。指先から足裏までの感覚、相手の息遣い、耳から入ってくる情報で、投げ技もすれば関節技も上手に極めます。そんな選手の動作をじっくり見ていただきたいです。
 そして、柔道は日本が発祥の地でもあり、海外に出かけていくと周囲から尊敬の目が向けられます。試合だけでなく合同合宿などでも、技術的なことはもちろん、立ち振舞いにも質問を受けますし、誰もが笑顔で話しかけてくれます。自分自身も柔道を続けてきて良かったと思うことがたくさんあります。

(写真提供 日本視覚障害者柔道連盟)

選手との思い出のエピソードを教えてください。

 最年長で活躍している松本義和選手(東京パラリンピック出場内定)との思い出を紹介します。彼は私より2つ年上ですが現役で頑張っていらっしゃいます。
 2018年のアジア大会でジャカルタに向かう機内で隣り合わせ、中途失明された後のお話を伺いました。想像以上の苦労を経験して現在に至った彼の人生に衝撃を受けました。彼は目が悪くなって、家族や親戚など色々な人に迷惑をかけたとおっしゃっていました。でも彼は、頑張って障がい者スポーツをやり始めて、特に柔道を始めてからは、代表選手という立場になられた。そうしたら周りの目も180度変わって、シドニーパラリンピックに行ってメダルを獲って帰ってきて、新聞やマスコミからも称賛され一目置かれるようになったと話してくれたのです。
 そして、ジャカルタでのアジア大会。試合でも僕がコーチとして付くことになり、迎えた3位決定戦、シドニー以来久しく海外でメダルを獲っていなかった彼も、これが最後のチャンスと気持ちが昂っていました。「慌てず、落ち着いて。後半で相手は必ずバテてくる、その時が勝負」と作戦を立てましたが、二人ともドキドキで試合に臨みました。試合は予想どおりの展開となり、作戦は的中。見事、銅メダルを獲ることができました。コーチとしても良い思い出になりました。

(写真提供 日本視覚障害者柔道連盟) 

 リオパラリンピックに行った時、選手村でパラ卓球のベテランの女性選手をお見かけしたのですが、その選手が後日、障がい者スポーツの研修会にゲストで来られていて、彼女のトレーニングの話を聞いて素晴らしいなと思いました。同時に、うちの松本選手も負けていないなと感じました。健常者の選手は30歳から40歳で引退する方が多いですが、お二人は、年齢を超えてスポーツを続けることの大切さを教えてくれる方々だと思います。
 また、トレーナーになってからの思い出として印象深いのは、最初に自分がテーピング処置をした選手が、国際大会でメダルを獲った時です。その選手は故障を抱えていたので、トレーナー2人がかりでどうしようかと相談し、僕はテーピングに専念して、行ってこいと送り出したのですが、見事メダルを獲って戻ってきました。それが、正木健人選手(東京パラリンピック出場内定)です。それがすべてではないのですが、トレーナーとしてとても嬉しかったのを覚えています。 

パラリンピック・パラスポーツへの思いをお聞かせください。

 選手はスポーツを通じて自己実現を図ろうとしています。身体に不自由な部分はあるかもしれませんが、みんな自分のアイデンティティを持って生活しています。どうしてもフィルターを付けて見てしまいがちですが、純粋にアスリートとして応援してほしいと思います。
 パラスポーツに関して、僕もまだそれほど長いキャリアがあるわけではありませんが、おそらく、障がいのある子供たちの中には、まだ家の中、地域の中に閉じこもっている人が結構いるのではと思っています。そういう子供たちを、晴眼者や健常者と一緒になってスポーツをやる、同い年の子供たちと分け隔てなくスポーツを楽しむ、そういった場に連れて行くお手伝いができたら良いなと思っています。特に柔道を通して、こうしたことができたら本望ですね。柔道は「(投げられて)痛いな」というところから始まるので嫌がられることが多いですが、その壁を乗り越えないと楽しさが分かりません。障がいのある子供たちからすれば、痛いことは余計にしたくないということになるかと思いますが、受け身ができるようになれば、それほど痛くありませんし、ケガをすることも減ります。東京パラリンピックでは、特に視覚障がいのある子供たちやその親御さんに観てもらいたいです。障がいがあってもここまでできるのだと、子供たちにもやらせてみようとなってくれれば良いなと思います。
 東京パラリンピックが決まってから、視覚障害者柔道に触れられる機会は増えてきていますし、単純に注目してもらえるのはすごく有難いです。ただ、東京大会の後どうするかは大きな課題だと思っています。柔道の場合、やはりキャリアが長いほうが有利となるので、小さいうちから練習できる場所・環境を確保することも重要です。例えば、都内の学校などに、障がいのある子供たちが柔道の練習をすることができる場を作って、そこに僕が毎日指導をしに行く、そういうことができるようになればいいなと思っています。さらに、海外の試合だと会場の脇に盲導犬がいてということがよくありますが、日本ではまだまだ少ないです。色々な面で環境が整備されてくれば、より多くの方々が外に出て活動できるようになるのかなと思います。



(写真提供 日本視覚障害者柔道連盟)

(令和3年1月 東京都オリンピック・パラリンピック準備局パラリンピック部調整課インタビュー)