パラスポーツ・パラアスリートの支え手の方々からのメッセージ ~パラ水泳~


 パラ水泳日本身体障がい者水泳連盟技術副委員長をされている本山幸子(もとやまゆきこ)さん支え手としての役割、パラスポーツやパラアスリートの魅力などをお伺いしました。
 水泳を支える方、競技、選手を知って、みんなで応援しましょう。

★パラ水泳
 本山幸子(もとやまゆきこ)さん
 (日本身体障がい者水泳連盟技術副委員長)

(写真提供 日本身体障がい者水泳連盟)

<プロフィール>

作業療法士、障がい者スポーツコーチ、パラ水泳コーチ
理学療法士作業療法士養成校卒業後、大阪市長居障がい者スポーツセンター(旧大阪市障害者スポーツセンター)に就職
センター退職後は医療に従事しながら、日本身体障がい者水泳連盟に関わり30年以上となる。
メディカルスタッフの知識を活かし、初心者からトップアスリートまでをサポート
選手の笑顔に会えることを楽しみに活動

パラ水泳の活動に携わることになったきっかけを教えてください。

 私の家庭は、父親が弱視であったり祖母がリウマチを患っていたりして、また母から手に職を付けたらいいと言われ、たどり着いたのがリハビリの世界でした。理学療法士のいとこに相談してみたところ、私はもともと手作業などをすることが好きだったので、基本的な動作に関わる理学療法士というよりは、作業療法士の方が向いているのではないかということで、その道に進むことにしました。
 それで大阪の作業療法士養成学校に通うことになったのですが、その時の先輩が、今の「大阪市長居障がい者スポーツセンター」で脳性麻痺の子供たちを対象に水泳教室を開催しており、そこに誘われたのがパラ水泳に関わるようになったきっかけです。そこに行くと、みんないい笑顔で練習していました。陸上では思うように動けなくても、水の中では思い切って動けるということの楽しさ、そして子供たちの笑顔に魅力を感じ、私自身水泳が好きだったこともあって、水泳指導に携わることになりました。 
 当時、障がいのクラス分けは陸上競技の視点で作られていましたが、それを水泳用に改定することにも関わりました。選手や競技団体(連盟)の方々と議論を重ねる中で、陸上では重力がある一方、水の中は浮力があり体も横向きになるので、もっと水泳向きに改善した方がより公平なレースができるのではないかという話になり、クラス分けの改定にいきつきました。その他、国際ルール・クラス分けの国内への導入などにも関わってきました。
 今は、作業療法士という専門職の視点を持ちながら、コーチの皆さんと協力して、選手のすそ野を広げることや、競技力の向上、パラ水泳に関わる人材の育成など、多面的に関わっています。選手に関しては、発掘・育成・強化とある中で、最近は発掘を中心に携わっており、色々なところに出向いて、将来パラアスリートに育ってくれるだろう選手を求めて「水の中はすばらしいよ!」と一緒に泳いだり、様々な大会で選手の泳ぎと記録をチェックしたりと、良い人材はいないかスカウティング活動をしています。
 また、指導者の育成にも携わっています。連盟に登録されている指導者は160人弱いますが、地域に偏在しているため、身近なところで指導を受けられないことが課題となっており、初級の指導者を増やしていく取組を行っています。
 今のコロナ禍では、連盟の中で常時関わっているメディカルスタッフは自分一人だけなので、感染症対策業務にも携わっています。





写真提供 日本身体障がい者水泳連盟

パラ水泳の魅力を教えてください。

 スポーツの本質は、鍛錬した肉体が見せるパフォーマンスです。その中でもパラ水泳は補装具などを使わず、身体一つで戦うので、真に肉体を鍛錬した結果で競えるという点が魅力の一つです。
 また、パラ水泳の選手たちは、それぞれ様々な障がいを抱えていますが、自分自身の障がいを理解し、どうやったら速く泳げるかを考えて練習を積み重ねていきます。同じクラスであっても障がいは多様で、泳ぎ方も様々あり、戦略もそれぞれに工夫しています。選手が色々な工夫をして、どう競技に臨んでいるのかに注目してほしいです。
 例えば、片腕や片足に障がいがある選手は、もう片方の腕や足を使い、脊髄損傷の選手は両腕を上手く使いながら、いかに速く泳ぐかを競っています。また、健常の選手の場合、比較的最初にスピードを出す前半型が多いですが、パラ水泳の場合は、自分の障がいに応じてレース後半にスピードアップする後半型の選手もいるので、最初は順位が後ろでも、後半でトップに躍り出るというような展開も多く見られるかと思います。
 また、パラ水泳には、独自の役割を持つ「タッパー」という方がいます。視覚に障がいがある選手は、プールの壁の位置を視覚で確認することができないので、ターンやゴールを選手に知らせるために合図をする役割を担っているのがタッパーです。合図に関しては、音声や言葉で伝えることはできないため、タッピングバーという棒で選手の身体(頭など)にタッチすることで知らせます。身体のどこをタッチしても良いのですが、タッチできる回数は2回までで、選手の泳ぎに合わせてタイミング良くタッチする必要があります。そのタイミングが特に難しいのがバタフライで、水中に頭や体が潜ってしまうので、どのタイミングでタッチしてほしいかを選手とよく打ち合わせをした上で、レースに臨むことになります。タイミングが遅いと選手が壁に激突したり、逆に早いとタイムロスが生じたりするので、選手とタッパーとの息の合ったコンビネーションに注目してほしいです。


 
写真提供 日本身体障がい者水泳連盟

選手との思い出のエピソードを教えてください。

 私が初めて海外遠征に行ったのは1995年、パラリンピック前年のプレアトランタ大会です。当時は今のようなサポート体制がなかったので、遠征費等もすべて自前、通訳の手配もままならない状況でした。この大会には、現在"水の女王"と威名のある成田真由美選手(アトランタ・シドニー・アテネ大会 金メダリスト)も参加していたのですが、彼女の褥瘡(じょくそう)予防ためのエアータイプのクッションに穴が開いてしまい、大変あたふたしたのを覚えています。その時は、手持ちのテープや輪ゴムを使って、何とか帰国するまでしのぐことができましたが、この頃は連盟としても海外遠征に行き始めたばかりで、何のハウツーもない状態で、こういったエピソードは他にもたくさんあります。
 また、3年前に日本スポーツ振興センターの選手発掘トライアウト事業でスカウトした選手が、その1年後には全国レベルの大会に出場するまでになりました。その選手は、もともとサッカーをやっていて大学に進んだのですが、事故で頸髄麻痺になり、事故後は車いすでツインバスケットなどをやっていました。車いすの選手は肩まわりが固くなる傾向があり、水泳には不向きなことが多いのですが、彼は肩が柔らかく、水泳の経験について聞いてみると、小学校の頃に水泳をやっていて興味はあったけれど、事故後は水泳はやったことがないとのことだったため、一回やってみないかとお誘いしてみたんです。そうすると、もともと水泳をやっていたので要領が分かっていて、すぐ泳げるようになり、それからはすっかり水泳の魅力に取りつかれたようです。その後どんどん力を付けていて、まさにこれから伸びていく期待の星です。
 私は、国内大会の場合、基本的に大会運営そのものに関わっているので、試合の様子をゆっくり見ている時間はないのですが、海外遠征に行った時はチームの一員として動いているので、ハラハラドキドキしながら見守っています。最後は選手が自分で力を発揮するしかないので、ここ一番の時は本当に祈る気持ちです。国際大会でメダルを獲って、国旗掲揚の瞬間などはジーンときますし、メダルが獲れれば一番良いのですが、なかなかそう簡単にはいかないので、まずは自分のベストを出せるかどうか、ここ一番で踏ん張れるかどうかが大事だと思っています。
 水泳はスポーツの中で最も練習時間が長いと言われるスポーツで、しかもプールの底、あるいは天井を見ながら黙々と練習を重ねなければなりません。ある意味孤独との戦いです。つらい練習を乗り越え、競技会場の緊張感に打ち勝ち、自分の思ったようなパフォーマンスが発揮できた時の選手の笑顔は、とても素晴らしいものです。
 最近、トップ選手たちは、コロナ禍ではありますが、ナショナルトレーニングセンターで黙々と練習に励んでいます。私は感染症対策面でもサポートを行っており、「体温は入力したか?」「この用紙提出して!」などと口酸っぱいおばさんになっています(笑)。



写真提供 日本身体障がい者水泳連盟

パラリンピック・パラスポーツへの思いをお聞かせください。

 東京パラリンピックに向けては、とにかく感染症対策を万全にし、選手のコンディションを整えて、十分に力を発揮できるようにサポートをしていくのみです。
 そして、パラリンピックを契機にもっとパラ水泳を普及させたいと思っています。陸上での動作は制限されても水中ではできることも多く、水の持つ特性をうまく利用することで、動かしにくいところも動かすことができます。水に入ること自体が運動になるので、泳がなくても、水中を歩くだけでもよく、この水の特性によって、健康維持や二次障がい予防にも役立ちます。これは障がいのある方だけでなく、すべての方に当てはまることです。
 また、障がいのある子供たちには、それぞれの地域でしっかり練習できるような環境を作っていく必要があります。最近は改善されてきてはいますが、なかなかそれぞれの障がいに合った指導を受けられる練習環境にないのが現状です。理想を言えば、身近な場所で、障がい者と健常者が共に練習できるようなインクルシーブな環境が作れたら良いと思います。そのために、健常の水泳のコーチにも、障がいがあっても泳げるし指導もできるということを知っていただけるように努力していきたいです。まだまだ始まったばかりですが、少しでも練習環境や指導の質が向上するよう尽力していきたいと思います。
 1964年の東京パラリンピックのレガシーの一つは、障がい者スポーツセンターなどパラスポーツの専用施設が作られたことでしたが、東京2020大会のレガシーは、水泳に関して言えば、障がいがある人もない人も、身近にあるプールで水中運動や水泳ができるようになることだと思っています。困難も多々あるかとは思いますが、こうしたことが実現できるよう、連盟の活動を通じて、また個人的にも取り組んでいきたいと思っています。


(令和3年2月 東京都オリンピック・パラリンピック準備局パラリンピック部調整課インタビュー)