パラスポーツ・パラアスリートの支え手の方々からのメッセージ ~パラトライアスロン~

 トライアスロンパラリンピック対策チームメカニックをされている塩野谷聡(しおのやあきら)さんに支え手としての役割、パラスポーツやパラアスリートの魅力などをお伺いしました。パラトライアスロンを支える方、競技、選手を知って、みんなで応援しましょう。

★パラトライアスロン
塩野谷聡(しおのやあきら)さん
パラリンピック対策チームメカニック



<プロフィール>
1979年生まれ。
公益社団法人 日本トライアスロン連合(JTU)所属‏。AscentCycle代表
長年プロショップやトレックストアなどに勤務しながら、パラトライアスロンのメカニックとして活躍
リオデジャネイロ2016パラリンピックでは日本ナショナルチームのメカニックとして帯同
2016年10月にプロサイクルショップ「AscentCycle(アセントサイクル)」をオープン

パラトライアスロンのメカニックに携わることになったきっかけを教えてください。

 中学生の時に「ツール・ド・フランス」を見て自転車競技に興味を持ち、当時、本格的に自転車競技をやっていた地元の高校に進学し、自転車競技部に入部しました。3年生のときに他校から異動してきた先生(監督)が、ちょうどトライアスロン選手の育成にも携わっていて、それが縁で、僕も合宿のお手伝いをしたり、ジュニア(健常)のナショナルチームのメカニックとして活動するようになりました。20年くらい前の話です。
 その後、一時自転車競技に復帰し、しばらくトライアスロンのサポートからは離れていましたが、2016年のリオパラリンピックの前年に、パラリンピック対策チームの富川リーダーから、「リオ大会からパラトライアスロンが正式種目となり、新たなチーム編成が必要だから来ないか」と声をかけられました。それを機に、パラトライアスロンとのつながりができ、リオ大会のテストイベントからメカニックとして帯同するようになりました。以降、様々な大会に帯同しています。普段は、ロードバイク・クロスバイク専門自転車店を経営しながら、近隣の選手のバイク(競技用自転車)の調整、不具合対応、部品交換、アップグレードなどを行っています。
 遠征直前になると、バイクの梱包・輸送の対応なども行っています。大会に帯同している間は、主にバイクの調整を担っていますが、基本的には何も(することが)ないのが一番です。レース中は、スペアホイールがセッティングされているホイールステーションに待機していて、タイヤがパンクしたときなどの対応を行っています。とは言っても、僕がホイールを替えてしまうとペナルティになってしまうので、基本的に取り替えは選手自身が行います。僕が普段接している選手たちは競技者であって、僕が行っていることは、あくまで競技者へのサポートです。

(写真 (C)Satoshi TAKASAKI/JTU )

パラトライアスロンの魅力を教えてください。

 スイム、バイク、ランと3種目を行うので、健常者でも大変な競技です。僕自身、泳げませんし、走ることはできますが、あまり得意ではありません。それを障がいのある選手たちが行うのは、純粋に凄いことです。それに、実際のレースを見てもらうと、バイクはその速さに驚かれると思います。そのスピード感も魅力の一つです。
 種目によっては健常者よりも速い選手がいて、例えば、昨年の大阪城トライアスロン大会では、何人かのパラの選手が一般の健常の選手と一緒に出場したのですが、中でも上肢に障がいのある佐藤圭一選手は、何百人も健常の選手が出ている中でバイクのタイムが一番良かったですし、他の選手も上位に入りました。 
 また、トライアスロンは通常、スイムからバイク、バイクからランへと「トランジション」を行うのですが、このトランジションのタイムは結果に直結する重要な要素です。パラトライアスロンの場合、選手はそれぞれに障がいがあるので、ただでさえこのトランジションは大変なのですが、例えば海や湖が荒れたりして急遽スイムが実施できなくなった場合、ランから始まってバイクへ、そしてまたランを行う「デュアスロン」に変更となることがあります。そうなると、選手は急ぎトランジションの流れをシミュレーションし直さないといけないので余計大変になります。こういった点にもぜひ注目してほしいです。
 あとは、選手それぞれの人間性や背景を知った上で競技を観てもらうと、もっと面白いと思います。
   









(写真 (C)Satoshi TAKASAKI/JTU )

選手との思い出のエピソードをお聞かせください。

 リオパラリンピック本番で、レース後にバイクを受け取りに選手村に行ったときのことです。同行していたマネージャーの一人が、パラリンピックのマラソンに出場されていた土田和歌子選手と知り合いで、そこで偶然会って挨拶していたんです。そのときは、僕は「この人テレビで見たことあるなあ」くらいの思いで写真を撮っていたのですが、その翌年の4月にアジア選手権へ行くため選手たちと移動しているとき、名簿に「土田和歌子」とあるのを見つけて「あれ、リオで会った人だよな」と。実は、リオ大会の後、土田選手はパラトライアスロンに転向したんですが、まさか自分と同じ競技にいらっしゃるとは思っていなくて。以前、講演をお願いしたときには、確か「陸上を長年やり続けてきて、やり切ったというわけではないけれど、ひと区切りとして、新しいことにチャレンジしてみようとトライアスロンの道を選んだ」とお話されていたのが記憶に残っています。
 レース中は、僕はコーチではないので声を掛けにくいですし、冷静に見ています。至って冷静に。ただバイクについては、とにかく「パンクしてくれるなよ」と祈っています。あと「落車するなよ」と。ちなみに、落車する選手はそんなにはいませんが、今年唯一帯同した2月のオーストラリア大会で、視覚障がいのある米岡聡選手とトライアスロンの選手でもあるガイドの椿浩平さんが、二人乗りのタンデム自転車でUターン折り返しのときに転倒しました。ペダルを踏み込むタイミングが二人で上手くいかずにバランスを崩したんだと思います。落車して椿ガイドも大ケガをしたのですが、オリンピックを目指していた彼も、もしこれが自分のレースだったら競技を辞めていたと。自分のためではなく、アスリートである米岡選手を支える立場として、辞められないんだと話していたのが印象的でした。
(写真 (C)Satoshi TAKASAKI/JTU )

パラリンピック・パラスポーツへの思いをお聞かせください。

 前回のリオパラリンピックは、一番思い出に残っています。パラトライアスロンに携わって2年目でいきなりのパラリンピックでしたが、やはり何かちょっと張り詰めた空気のようなものがありましたね。選手たちはみんな普段どおりなんですが、いつもと何かが違うというか。でも、実際レースが終わっちゃうとあっけなく感じました。その時は、僕はたかだか合流して1年でしたが、他のもっと責任あるリーダーなどは、背負っているものが違ったんだろうなと思いますけど。僕も今はそういう気持ちに近づいています。
 パラトライアスロン競技は、今はコロナ禍で難しいところもありますが、ぜひ多くの方に直に観てほしいなと思っています。朝早くのスタートになりますが、スイム、バイク、ランと3種目あって、周回コースになっているので、見どころがたくさんあります。来年4月には、広島の廿日市でアジア選手権が開催予定ですし、例年5月には横浜でも国際的な大会もあるので、ぜひ観ていただきたいです。
 パラスポーツ、障がい者スポーツというのは、まだまだ特殊なことと捉えられがちです。例えば、タンデム自転車の走行が認められている場所は極めて少ないですし、米岡選手などは実際に遠方まで自転車を運んでトレーニングしています。また、車いす競技などは、床に傷が付くからと体育館を使わせてもらえないケースもあると聞きます。こうしたことが少しずつでも解消されて、もっと当たり前に色々なところでパラスポーツができるようになってほしいです。障がいのある方がスポーツをしやすい環境を整備して、すそ野を広げていくことが大事だと思います。


(令和2年11月 東京都オリンピック・パラリンピック準備局パラリンピック部調整課インタビュー)