パラスポーツ・パラアスリートの支え手の方々からのメッセージ ~車いすフェンシング~


 車いすフェンシングトレーナーをされている牛込公一さん支え手としての役割、パラスポーツやパラアスリートの魅力などをお伺いしました。車いすフェンシングを支える方、競技、選手を知って、みんなで応援しましょう。

★車いすフェンシング
牛込公一(うしごめこういち)さん
(トレーナー)

<プロフィール>  
 1969年、千葉県生まれ。
 障害者スポーツトレーナーという名称がまだ一般的ではなかった頃から車いすバスケットボール「千葉ホークス」のチームトレーナーとして関わるほか、複数の競技でトレーナーとして活動したのち、車いすフェンシングへ。現在はトレーナーだけではなくNPO法人日本車いすフェンシング協会の理事としても活動。

トレーナーに携わることになったきっかけを教えてください。

 もともと整骨院で働いていたのですが、16年くらい前に、たまたま友達から「千葉ホークス」という車いすバスケットボールのチームを紹介され、その時は、特に障がい者スポーツにこだわりがあったわけではないのですが、トレーナーとして人の役に立てるのならと門戸をたたきました。1、2年とやっていくうちにだんだんと選手とも打ち解けていって、続かないで辞めていく方が多い中で、自分は結果的に残ったというか、やりたいから残りました。楽しかったのでしょうね。トレーナーというのが少しスポーツの中で格好いいねと動き始めた頃です。
 当時、その「千葉ホークス」に安直樹選手(現車いすフェンシング選手)がいたのですが、その安選手が競技の転向を考えていて、パワーリフティングやバドミントンなど色々な競技を試して、自分に合う合わないというのを確認していました。2020年の東京パラリンピックが決まって、ちょうどその頃、北区で車いすフェンシング教室が始まったんですが、安選手とそこに行ってみようという話になり、初めて車いすフェンシングと出会いました。
 そこで、車いすフェンシング協会の当時の理事長に、大会に出てみないかと誘われたんです。車いすフェンシングの選手は当時3、4人しかいなくて、国内で大会ができなかったので、クラス分けの認定をもらうためにも必然的にワールドカップにいくしかない状況でした。トレーナーもいないので、流れで必然的に私がトレーナーになりました。車いすフェンシング自体を知らなかったのですが、安選手と一緒にその理事長から色々教えてもらって、すごく勉強させてもらって。そうしているうちに、だんだん楽しくなってきて、楽しいので続けていたら、いつの間にか協会の理事になっていました(笑)。












(写真中央 河合紫乃選手と)

車いすフェンシングの魅力を教えてください。

 フランス語で「準備はいいか」を意味する「プレ」、同じく「はじめ」を意味する「アレ」で試合がスタートし、早ければ1秒で点が入ります。通常のフェンシングだと間合いがあるので、いったんリセットして、ちょっと離れてもう一度考えたりすることができます。一方、車いすフェンシングは椅子に固定されていて、間合いがないので、一瞬の駆け引きで勝負が決まります。なので、瞬発力、素早さが求められますが、頭も使います。5手、6手、7手先を読みつつ、一瞬の間合いの中で行われる駆け引きはとても魅力的です。
 健常のフェンシングの方たちが一緒に試合をやってくれると、彼らは普段、自分たちの間合いとリズムを持って戦っているので、間合いがないことで「わっ!」となります。なので、例えば、あのオリンピアンの太田雄貴さんと戦っても、1点、2点は確実にとれます。一瞬の突きで点がとれるのは、すごく見ていて面白いです。
 車いすフェンシングは、やはり一度やってみないと面白さが分からないところがあります。普段、武器をもって人に突きつけるなんてやらないですからね。女性の中には怖いという方も多いですが、一度やってみると「気持ちいい」「楽しい」となるようです。

(写真向かって左 笹島貴明選手、中央 河合紫乃選手と)











思い出のエピソードをお聞かせください。

 最初の頃、選手が少ない中で大会をやろうというときに、(健常の)フェンシング協会さんが、エキシビションで車いすフェンシング競技を紹介する場を設けてくれました。私たちだけでなく、フェンシング協会さんをはじめ、色々な団体が一緒になって車いすフェンシングを盛り上げていこうとしてくださっています。障がい者スポーツの世界は、お金もなく、人もいませんが、そうやって声をかけてもらって。現在、NTCで練習させてもらっていますが、ここでもフェンシングのコートの中の一部を車いすフェンシングで使わせてもらっていて、フェンシングのコーチが「ちょっとそれね」と声をかけてくれたり、時には一緒に試合をやってくれたり、本当に協力的なシーンが多いです。
 パラリンピックを迎えるに当たって、支えてくれる人たちが増えた感じがしていて、選手たちが活動しやすくなったと思いますし、環境がどんどん整備されていくのを感じます。今いるコーチの方も、元々はフェンシングのコーチでしたが、「障がい者スポーツの方に」と言って、今は専任コーチになってくれています。本当に多くの方々に支えられている感じがします。フェンシングのメダリストの太田さんや三宅諒さんが、安選手や、まだ2、3年ほどの経験の浅い選手たちと身近に接して戦ってくれたりするのですが、そういう環境の中で選手たちが育っていくのが面白いです。 
(写真向かって左 河合紫乃選手と)                                              

パラリンピック・パラスポーツへの思いをお聞かせください。

 パラリンピックは、選手たちが自分の人生において大切な時間であることを改めて認識できる場です。なので、このコロナ禍にあっても、ライバルたちと切磋琢磨しながら、できること、よりできることに対してストイックになってほしいです。本当に誰にでもチャンスがあります。そんな簡単なものではないですが、少なくとも諦めないで、徹底的にやっていけば、他の人たちより練習の時間は多くなりますし、何かしら自分にとってプラスになる部分があります。この機会は逃してほしくないです。諦めないでやっている人たちは絶対に何かチャンスをつかめるはずです。今を大切にしてほしいです。
 また、障がい者スポーツを普及させていくためには、障がいのある方でスポーツをやる人を発掘して、スタッフなども含め、そこに関わる人を増やしていくことが大事です。例えば、ここ江戸川区でも車いすフェンシング教室を始めましたが、障がいがある方で、まだまだスポーツができるけれどやっていないという人は沢山いると思います。仕事が終わってからでも練習ができる機会をもっと増やしたり、親御さんの都合でなかなかそういうところに通うことが難しい子供でも、周りのみんなが協力して機会を作ることに関わってもらえたら、もっともっと障がい者スポーツが広がっていくと思います。最初から障がい者スポーツなんて無理だよと考えるのはもったいなくて、人が集まってくれば自分たちができなかったことができるようになったりするんです。
 10年先、20年先に、もっと障がい者スポーツが普及している姿の仕組みを作っておかないといけないと思っています。この記事を見て、障がい者スポーツのトレーナーをやりたいと思ってくれる人がいればありがたいですし、選手が「牛込がやっているんだから自分ももっと頑張らなきゃ」と思ってもらえれば嬉しいです。障がい者スポーツを通して色々な声が広がっていくのを感じてきたので、これからもどんどん前向きに発信していきたいと思います。


(令和2年10月 東京都オリンピック・パラリンピック準備局パラリンピック部調整課インタビュー)